俺には物心ついた頃からの友達がいた。
小学生の頃までは、いつも彼と一緒に遊んでいた。
俺の方が勉強や運動はできたけど、彼の方がゲームソフトをたくさん持っていたし、俺よりもゲームが上手かったのがちょっと羨ましかった。
お互いちょっと変わり者で、負けず嫌いなところもあったけど、喧嘩はほとんどしなかった。
俺は彼のことを親友だと思っていた。
小さな町だったから、小学校の同級生は皆同じ中学校に入った。
別の小学校だった子も入ってくるから、クラスも増えた。
彼とはクラスが別々になってしまい、疎遠になってしまった。
俺は人見知りでこそあったが、なぜか人当たりは良かったから新しい友達もできた。
ある時、学校の帰りに別の友達に連れられて、久しぶりに彼の家に行くことになった。
というのも、彼が不登校になっていると聞いたからだ。
家に着くと、おばさんは喜んで上がらせてくれた。
とりあえず会ってはみたものの、何か気まずい雰囲気だった。
連れてきてくれた友達との会話の内容から察するに、不登校の原因はいじめだった。
「何があったの?」
って聞こうか。
「学校行こうよ。」
って言おうか。
「また何かされたら助けてあげるよ。」
って無責任な発言をしても良いのだろうか。
考えてはみたものの、俺は詳しい事情を知らなかったし、下手なことを言って傷付けてしまうのが怖くて、そういうことは何も言えなかった。
久しぶりに次の休みに遊ぶ約束だけ取り付けて、その日は帰った。
それからというもの、また小学生の頃のように彼と遊ぶようになった。
時には仲の良かった友達も加えて遊びに行った。
そうしていれば、そのうち戻ってきてくれると思っていた。
結局、彼は不登校のまま中学校を卒業した。
俺は地元の公立高校へ進学し、彼はニート状態になった。
その一年後、彼は定時制の高校へ進学し、いつの間にか新しい友達も作っていた。
近所に住む、一つ年下の子だ。
その子を含めた三人で一緒に遊ぶようになった。
遊ぶ約束を取り付けるのはいつも俺からだった。
中学生の頃に一緒に遊んでいた他のメンツは次第に疎遠になった。
俺は勉強嫌いだったから、高校からの成績はガタ落ちしていた。
部活は真面目に続けていたものの、センスがなかったから、ろくな活躍はできなかった。
人見知りが悪化してコミュ障になっていて、クラスでは浮いていた。
クラスに友達はおらず、一言も言葉を発しない日もザラにあった。
それに加えて家庭環境の諸事情もあり、甚大なストレスを抱えていた。
休日には逃げるように彼の家に遊びに行った。
俺は大学に進学した。
と言っても成績は良くなかったから、大学のランクはかなり下げた。
高校の時のクラスメイトは誰一人いない大学だ。
片道二時間半もかかるのに、わざわざ実家から通った。
その理由は色々あるが、彼と遊べなくなるからというのも理由の一つだった。
俺は彼を支えているという自負を少なからず感じていたが、それと同時に惰性で関係を続けているような気がしていた。
同じ部屋にいるのにお互い会話も少なく、別々のゲームをしているということが多くなった。
なんとなく、彼からの風当たりが強くなってきていた。
俺が何を言っても否定的な感じで応対された。
俺は少しずつ、面倒くさいと感じるようになっていた。
ある日、麻雀で負けたら罰ゲームをしようという提案を彼が持ちかけてきた。
罰ゲームとは、酒を飲むことだった。
それも、アルコール度数のかなり高いやつだ。
彼ともう一人の友達の方は飲み慣れていたけど、俺は飲んだことがなかったから、罰ゲームとしては不公平な気がした。
……まあ未成年なのだが。
とは言え、ここで断っても空気が悪くなるだろうと思い、仕方なく受けて立った。
負けなければ良い。そう思っていた。
結局その日、俺は一度も負けなかった。
しかし帰り際、彼は
「せっかくだから一杯くらい。」
と俺に酒を勧めてきた。
どうでもいい相手だったら、適当に誤魔化して断ることもできたと思う。
でも彼が傷付くことを恐れて、断れなかった。
コップに注がれたそれは、少量ではあったが、顔を近付けるだけで酷い臭いがした。
後に引けなくなった俺は彼の様子を伺いながら、しばらくして覚悟を決め、一口飲んだ。
焼けるように喉が熱い。
自分の口から異臭がする。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
まだコップには半分残っている。
勢いで残りを飲んだ。
再び喉が焼けた。
呼吸が荒くなり、吐き気がした。
俺はそのままその場を後にした。
目の焦点が合わず、体は思うように動かなかった。
親に顔を見られるとマズいと思い、家に帰ってすぐに自室へ逃げ込んだ。
もう二度と酒は飲まない。そう決意した。
こんな思いはしたくない。
少量だったからか、翌日には酒は抜けていた。
その次の週末、俺は懲りずに遊びに行った。
彼はまた、罰ゲームを賭けて麻雀をしようと持ち掛けてきた。
結局、この日も俺が負けることはなかった。
彼はそれが気に入らなかったのか、UNOに変更しようと提案してきた。
さすがにUNOでは運要素が強いのだから、どうしても負ける確率が高くなる。
そこで俺は「罰ゲームは酒の代わりになるもので」という条件で承諾した。
何回かやって、とうとう俺が負けた。
罰ゲームに用意されたのはブラックコーヒーだった。
少し口を付けてみたが、苦すぎて喉を通らない。
俺がこれを飲まなければ、次の勝負が始まらない。
しかし、とても飲めたものではない。
「んー、飲めねえよぉ。こんなの」
と、冗談っぽくごねてみたが、彼は苛立ち交じりに突っぱねた。
先週のこともあって、なんだか急に嫌気が差してしまった。
なんでコイツに付き合っているんだろう。
そういえば最近コイツと一緒にゲームで遊んだっけ。
今までコイツから遊びに誘われたことってあったっけ。
コイツ、俺のことをどう思っているんだろう。
……コイツは本当に友達なのか?
それから、無言のまま数時間が経過した。
もう罰ゲームのことなど、どうでもよくなっていた。
俺は小さくため息を吐いて、怒るように、哀しむように、呆れるように、
「帰るわ」
とだけ言い残し、見送られることもなく静かに帰った。
その日を最後に、俺から連絡することはなくなった。
事実上の、絶交だ。
俺は大学でも友達を作ることはしなかった。
もう独りでいることにも慣れていた。
彼と絶交してから一年ほど経った頃、携帯に彼からの着信履歴が残っていた。
俺は自分からは連絡したくなかったから、待つことにした。
あの時のことを、今更謝罪するつもりだろうか。
もし謝罪があったら、それを許すべきだろうか。
もう一度、関係をやり直した方が良いのだろうか。
期待と不安でいっぱいになった。
その日のうちに、もう一度着信があった。
恐る恐る、俺はその電話を取った。
「もしもし」
「もしもし。久しぶり」
「久しぶりだね。何か用?」
お互い緊張気味だった。
最初に切り出されたのは、最後に遊んだ日のことだった。
「あの時は、ごめん。」
予想以上に素直な謝罪で、拍子抜けしてしまった。
その後、今まで触れていなかったことを色々話した。
まず、いじめに遭った時のこと。
俺が聞くのを避けていた話を、彼自身から話してくれた。
いじめの内容はここには書けないが、彼は執拗にいじめを受けていた。
それに耐えかねて、一度いじめっ子に仕返しをした。
しかし、仕返しをしたことがバレて、クラスの担任の先生に呼び出しを食らった。
椅子に座らされ、説教をされた。
言い訳をすると引っ叩かれ、椅子から転げ落ちた。
彼が不登校になったのはそれからだ。
彼はいじめっ子と担任の先生を憎んだ。
それから、彼はもう一度いじめっ子に仕返しすることを決めた。
今度は誰にもバレずに、確実に仕返しするため、念入りに計画を立てた。
仕返しは見事成功した。
彼はそれで満足したという。
彼は一通り話し終えた後、俺に
「どう思う?」
と聞いてきた。
もちろんいじめは良くないが、仕返しをして良いものだろうか。
相手が陰湿であれ、暴力的であれ、やられたらやり返すことが正しいだろうか……。
俺ははっきりした答えを出せなかった。
彼は定時制の高校に入学する前、面接でこのことを話したらしい。
そこで面接官に言われたのは、
「よくやったね。」
だった。
説教でも罵倒でもなく、返ってきたのは称賛だった。
初めて理解してくれる人がいた。
彼はそれで入学を決めたのだという。
俺にはできない回答だと思った。
たとえ世間一般には道徳的ではないことだとしても、彼は勇気を振り絞って仕返しをしたのだ。
俺は彼の気持ちを何も理解してあげられていなかった。
それから、彼が不登校になった後に俺が初めて家に訪ねた時のことを話した。
その時、彼は俺に何か言ってほしかったのだという。
事情を知らないのなら、聞いてあげれば良かった。
ありきたりな言葉でも、励ましてあげれば良かった。
今更後悔した。
その後も長らく一緒に遊んではいたが、俺がそういうことを何も言わないから、彼は日に日に不信感を募らせていた。
彼はずっと、俺のことを「いつもクラスの中心にいる子」だと思っていたという。
言われてみれば、確かに彼の知る限りの俺はそうだったのかもしれない。
小学生の頃の俺は勉強も運動もできたし、おどけたりドジを踏んだりしてクラスの皆を笑わせる子だった。
だから、俺が高校生の頃に友達ができないことを愚痴った時も、俺が誇張しているだけだと思っていたようだ。
俺は彼を親友だと思っていたが、彼はそうではなかった。
彼にとっての親友は、あの一つ年下の子だった。
その子はちゃんと彼の話を聞いてくれたし、彼の良き理解者だった。
親友とは、そういうことだ。
一方、俺は彼を支えられていないどころか、傷付けていた。
彼は俺のことを友達だとすら思っていなかった。
俺は彼に謝罪した。
話の最後に、彼の方から遊びに誘ってくれた。
仲違いしたままは嫌だったし、俺はためらいながらも承諾して、電話を切った。
次の週末、久しぶりに彼の家に遊びに行った。
彼の親友も含めた三人で、一緒にゲームもしたし麻雀もUNOもした。
もちろん、酒も罰ゲームもナシで。
そして、帰り際には彼が見送ってくれた。
「またね」
とは言わなかった。
それから彼とは一度も会っていないし、連絡も取っていない。
それがお互いのためだと思ったからだ。
もう二度と酒は飲まない。再びそう決意した。
酒を飲まない理由を聞かれた時、彼のことを思い出せるからだ。
親友にはなれなくても、俺は彼の理解者の一人でありたい。