こなごころ

きもちをつづるばしょ

この胸の痛みを俺はよく知っている

社会人3年目、2016年の春のこと。

とある辞令が下った。

 

職場にもまあまあ慣れ、プログラマとしてそれなりに仕事ができるようになったような気がする頃。

部長からお呼び出しがあった。

 

「また何かやらかしたか……どうせろくなことじゃないんだろうな……」

 

と嫌な予感に駆られた。

 

部長は悪い人ではないのだが、ちょっと苦手だった。

年齢が離れている分、どうしても気を遣うし、ジェネレーションギャップもよく感じる。

 

それに、社会人としてのマナーとか、仕事の進め方とか、事あるごとに細かく注意されていた。

まあでも、注意されるってことは自分が悪いわけで。

実際、言っていることはいつも筋が通っているし、ちゃんと話せば分かってくれる人でもある。

 

恐る恐る、部長の待つ会議室へ入った。

 

「失礼します」

 

「まあどうぞ、掛けてください」

 

緊張して腹が痛い……。

 

「最近調子どう?」

 

「まあ、ぼちぼちですかね」

 

社交辞令もそこそこに、さっそく本題へ入る。

 

「今度、東京のオフィスの方でちょっとした案件があってね」

 

なるほど、この時点で察しがついた。

 

「君に手伝ってもらおうと思っているんだよ」

 

要するに、仕事の依頼の話だ。

 

俺の会社には東京と大阪にオフィスがあって、俺はいつも大阪のオフィスの方で仕事をしている。

だから、この仕事を引き受けるということは、東京へ転勤ということになる。

 

一般的には、"仕事を依頼される"というのは、それなりに名誉なことなんだろうと思う。

でも、未知の職場で仕事をするというのは、なかなか不安だ。

 

それに俺の会社では、一度東京のオフィスに異動になると戻ってこない人が多い。

別に居心地が良いとかそんなことではなく、単に東京の方が仕事量が多くていつも人手が足りていないからだ。

中小企業なもんで、人材の確保も簡単ではないらしい。

 

「どういう内容の案件ですか?」

 

とりあえず承諾するかどうかは一旦保留して、質問を投げてみる。

 

C++の案件でね。まあLinux系のシステムの開発になるんだけど」

 

それを聞いて不安が増した。

俺がそれまで携わっていた仕事も一応C++での開発ではあるけど、使っているフレームワークMFCだ。

例えるなら、今まで和菓子を作ってたのに精進料理を作ることになった、みたいな感じだろうか。

 

Linux系での開発もしたことがないわけではないのだが、Linuxはどうも毛嫌いしていた。

英語が心底苦手だったもので。

 

「いつからいつまで、っていうのは決まっているんですか?」

 

本当は最初に話が出た時点で引き受けざるを得ないことは察しているのだが、一応聞いてみる。

 

「今年の5月中旬から7月末までの予定です」

 

つまり大体2ヶ月半。

でも期間が決まっているからといって安心はできない。

元々3ヶ月間の転勤予定だったのに、1年以上経っても戻ってこない、なんて人もいるのだ。

 

「仕事はどういった感じで進めるんでしょうか」

 

「Aさんの指示のもとで動いてもらいます」

 

「ちなみに、住むところとかは……」

 

「総務の方に手配してもらう予定です」

 

「家賃とか、交通費とかは……」

 

「会社が出します」

 

質問して時間を稼いでみるものの、これはもう俺のYes待ちだ。

 

「どうしても行けないような理由はある?」

 

「えっと……ないです」

 

拒否権なんてない。

不安だから行きたくないというのは通らない。

 

「じゃあ、よろしくね。詳しい話は後で総務の方から連絡してもらうから」

 

「分かりました。頑張ります」

 

そう答えるしかなかった。

 

 

 

後日、転勤中の仮住まいとなるマンションの情報と、東京行きの新幹線の切符を貰った。

そこでマンションの情報を見て、目を疑った。

 

俺の給料より家賃の方が高い。

俺をもう一人雇ってお釣りがくる。

さすがは東京の某一等地だ。

 

というか、家賃分を給料に回してほしいと思った。

まあそれだけ期待してもらっているってことなんだろう。

とポジティブに考えることにした。

 

当初は不安しかなかったが、転勤日が近づくにつれて気持ちの整理もついていった。

"新しい生活が始まる"と考えれば、何かワクワクするような気がしないでもない。

 

転勤日の前日の日曜日。

重いスーツケースを引きずって、俺は予定通り新幹線で東京へ向かった。

結局、東京駅で迷ったために少し時間はかかったものの、無事マンションに到着した。

その日は5月にもかかわらず暑いくらいの快晴で、俺は汗だくになった。

 

マンションの玄関口はオートロックで、中に入るとエレベータがあり、部屋の扉もまたオートロック。

いつもは階段を上って鍵を使って扉を開けているだけから、なかなか新鮮だった。

 

とはいえ、別に部屋の中はあまり広くはない。

まあ事前に貰っていた情報で分かっていたのだが。

 

とりあえず荷物を置いて、まずはネットが使えるかどうか確認。

部屋の中のLANケーブルの挿し口を探してみるが……ない。

事前に確認した時には「たぶんあるんじゃない?」と聞いていたのだが……。

わざわざルーターを持ってきていたのに、無駄になってしまった。

 

一応、ポケットWi-Fiは備え付けてあり、とりあえずこれでネットに繋ぐことはできた。

Wi-Fiといっても通信は安定していて、使用感も特に問題なさそうだ。

 

部屋を一通り確認してみる。

 

ベッドや冷蔵庫など、基本的な物はそろっている。

テレビも一人部屋には十分なサイズだ。

風呂はちょっと広かった。

 

ベランダは狭すぎて洗濯物が干せそうにない。

部屋干しせざるを得ないようだ。

 

コンロはあるが……鍋がないな。

ポットと炊飯器は……なんか汚い。

調理するのは厳しそうだ。

 

そういえば、アイロンがない。

重いから持ってこなかったのだが、これからしばらくアイロンがけができない……。

 

冷蔵庫には何もないため、とりあえず晩飯を調達しなければならない。

ネットで近所のスーパーの位置を調べると、徒歩3分ほどのところにあるのがすぐ見つかった。

 

特に迷うこともなくスーパーにたどり着き、適当に冷凍食品やカップ麺、飲み物を買って帰った。

部屋でお湯を沸かす手段がないため、カップ麺は会社に持っていく用だ。

 

あとはもう特にすることもなかったため、適当にネットサーフィンで時間をつぶした。

晩飯に冷凍食品のチャーハンをいただき、明日に備えて早めに寝ることにした。

 

 

 

転勤初日。

通勤時間は徒歩10分くらい。

9時が始業時間のところ、少し早めの8時半くらいに出社した。

 

すでにA先輩だけ来ていた。

聞くところによると、A先輩は7時とか6時とかに来ていることもあるらしい。

これからしばらく、この人の指示で仕事をすることになる。

 

東京のオフィスは正社員も派遣社員も出入りが多く、俺が転勤してきたことも別段珍しくはない感じだった。

まあ新入社員ではないから、盛大に歓迎されることもないのだが。

 

俺はA先輩の対面席になった。

初日の最初の仕事は、案件の内容の把握。

仮想マシンに試験用の環境を構築して、概要説明を受けて、仕様書を読む。

 

……まったく分からない。

 

質問しようにも、何が分からないのか分からないレベルで仕様書の内容が分からない。

というか、どう考えても仕様を知らない人間が読んで理解できる仕様書じゃない。

 

概要説明の時に

 

「分からないことがあったら何でも聞いて」

 

という世界一信用ならない言葉をA先輩の上司から賜ったが、果たして聞いてもいいものか。

 

……なんて考えていても埒は明かない。

他に聞ける人もいないし、素直にA先輩に質問してみる。

 

「とりあえず、何をどうしたらいいのかよく分からないんですが……」

 

ああ、分かってる。分かってる。

社会人の質問の仕方として、最悪なのは分かってる。

でも、途方に暮れているよりは、たぶんマシ。

 

A先輩はダルそうに溜息を吐いて、適当に説明してくれた。

分かったような、分からないような……。

 

さて、なんとなーく案件の仕様を把握して初日の仕事は終わり。

 

などということはなく。

 

終業時間が17時半なのに、17時半から打ち合わせ開始である。

それも、今回の案件では俺の会社は孫請けだから、片道30分かけて元請けの会社に訪問しに行くのだ。

初日だから顔合わせだけ、なんてことはなく、がっつり打ち合わせ。

 

まだ仕様もほとんど把握できていない中、飛び交う専門用語。

なんだか大事そうな発言を必死にメモしていくが、そんなことはお構いなしに議論が進む。

 

ようやく打ち合わせが終わって、マンションに帰ってきた頃にはもう23時。

 

初日で大阪に帰りたいと思った。

 

 

 

翌日の最初の仕事は、昨日の打ち合わせの議事録作成。

殴り書きしたメモを見返してみるが、やっぱりなんだかよく分からない。

 

四苦八苦して、なんとか帳尻が合うように議事録っぽい何かを作成した。

 

A先輩に確認してもらうと、

 

「ここはこうじゃないでしょ」

 

「ちゃんと聞いてた?」

 

「俺こんなこと言ってないよね」

 

と散々だった。

ちょっと傷つく……。

 

それが終わると、仕様書とにらめっこ。

相変わらずよく分からない。

 

そして今日も打ち合わせ。

議事録とかいう、どうせ誰も読まないもののために必死にメモを取る。

またしても、はるか上空を飛び交う専門用語。

 

5時間半の議論の末、また23時の帰宅。

 

あとは風呂に入って晩飯を食って寝るだけ。

 

すでにこの先やっていける気がしない。

2日目にして心が折れかけている。

 

 

 

毎日打ち合わせがあるわけではなく、翌週からは週1程度になった。

しかし、打ち合わせがない日でも定時で帰れるわけではない。

 

A先輩の許可が貰えなければ帰れないのだ。

当たり前のように帰宅時間が20時を過ぎていく。

 

仕事の内容はというと、俺に振られるのは調査や議事録作成といった雑務ばかり。

"C++の案件"と聞いていたのに、それらしい仕事は一切ない。

唯一作ったものと言えば、動作テスト用の100行にも満たないプログラムだけ。

 

そして何より辛かったのは、A先輩の態度だった。

怒鳴り散らすことこそないが、ネチネチと嫌味っぽく俺をこき下ろしてくる。

 

「そんなんじゃダメだろ」

 

「さっき"分かりました"って言ったよね? 全然分かってないじゃん」

 

「できないの? ちゃんと調べてんの?」

 

「はぁー(クソでか溜息)」

 

「分からないなら言えよ」

 

「話聞いてる?」

 

「モタモタすんなよ」

 

「やる気ないなら帰れよ」

 

俺の心に、チクチク突き刺さる。

自分の落ち度を咎められているだけに、その分ダメージが大きい。

 

「すみません」と言うたびに、自分の存在価値が無くなっていくのを感じた。

 

俺は何のためにここに来たんだろう……。

 

よく眠れない日が続いた。

 

 

 

昼はカップ麺、夜は冷凍食品の生活。

 

俺はどうにかして身体を壊せないかとずっと考えていた。

壊れてくれれば、きっと休めるのに。

 

自室のベッドに寝転んで天井を眺めていると、A先輩の声が脳内再生される。

否応なしに無気力感に襲われて、とても気分が悪い。

 

もし明日、俺が会社へ行かなかったらどうなるだろう。

何も言わずに、勝手に大阪へ帰ったらどうなるだろう。

 

帰りたい。帰りたい。帰りたい。

 

胸が苦しくなった。

 

ああ、知ってる。

 

この感覚。

 

この締め付けられるような胸の痛み。

 

俺はよく知っている。

 

高校の頃、勉強ができなくて、友達ができなくて、部活で何一つ活躍できなくて、祖父の認知症で家庭が崩壊しそうになっていて、どこにも居場所がなくて、誰にも相談できなかった。

 

いっそこの世から消えてしまえたらって考えていた。

 

その時と同じ胸の痛みだ。

 

こんな時、どうすれば良いかも、俺は知っている。

 

何も考えなければいい。

辛いって感覚を忘れればいい。

 

俺はそうしてきた。

 

どうせ2ヶ月半でオサラバだ。

終わりの見えている苦しみなんて、大したことはない。

 

そうやって他人事のように考えて、自分の心を守ってきた。

 

 

 

6月の中頃、部長と一度面談があった。

最近の仕事ぶりや今後の目標について話した後、

 

「絶対に予定通り7月末で帰りたいです」

 

と強く言っておいた。

そう言ったところで本当にその通り便宜を図ってくれるかどうかは分からなかったが、少なくとも俺自身の覚悟にはなった。

 

A先輩のことについて聞かれると、

 

「すごく仕事頑張ってる方ですけど、なんて言うか、私とはあまり反りが合わないですね」

 

とだけ言っておいた。

 

A先輩は、一言で言うと意識の高い社畜だ。

 

朝は誰よりも早く会社に来ているし、いつも遅くまで仕事をしている。

それどころか、土日も祝日も進んで会社に来ている。

 

正直、どうかしていると思うのだが、周りには"すごく仕事のできる人"として評価されている。

コミュニケーション能力が低いことは周囲にも認知されているようだったが、それ故に傲慢な態度も許容されていた。

 

実際、飲み会の席では他の社員から

 

「そういうタイプの人だから」

 

「根は良い人なんだよ」

 

「仕事はできるからねー」

 

なんて言われているのも見たことがあった。

だから、俺がA先輩の横暴を訴えたところで、俺に味方してくれる人がいるとは思えなかった。

 

少しでも早く帰れた時にはニコ生でゲーム配信をして、現実逃避するのが唯一の楽しみだった。

 

ただし、通信に使っているポケットWi-Fiには通信制限がある。

使い過ぎると制限がかかってしまうのだが、どの程度使っているのかが確認できない。

 

それで最初の月はたった一週間ほどで通信制限をくらってしまった。

通信制限が解除されるのは月末。

 

このストレスフルな毎日を生き抜くのに、ネットすら満足に使えなかった。

 

そうそう。

俺はこの頃、自作ソフトを作っていた。

俺の自作ソフトの3作目になる、Wingine Clockっていうやつだ。

 

日々すり減らされる自尊心を、俺は創作活動で補っていた。

ちなみに、"Wingine"は"Windowsのエンジニアになりたかった粉塵"の略であり、この時の俺の怨念が込められている。

 

 

 

転勤の終わりが近づくにつれ、俺は元気を取り戻していった。

残業も嫌味も相変わらず多いが、"もうすぐ帰れる"というただそれだけで元気が出た。

空元気だったのかもしれないが。 

 

仕事もいよいよ大詰め。

結局、開発はすべてA先輩がやってしまって、俺はソースコードには一切触れなかった。

 

残るはシステムの結合試験。

かなりの数の試験項目がある規模のシステムの割に、バグの数は少なかった。

 

A先輩のことは嫌いどころか反吐が出るほど憎かったが、それでもIT屋としての腕は認めざるを得なかった。

まあ、バグを出されたらこっちの仕事も増えるから、バグは出ない方が良いのだが。

 

 

 

7月末、転勤最終日。

結合試験の作業はその日の午前中に完了した。

 

転勤期間を延長させられることはなく、怒涛の日々がようやく終わった。

 

長く苦しい戦いだった。

 

転勤期間中、ほぼ嫌なことしかなかったし、自分のためになったことなど微塵もなかったと思う。

ここまで本当によく耐えた。

 

最後に、俺はとても気分良く

 

「お疲れ様でした!」

 

と言ってオフィスを出た。

 

 

 

大阪に戻ってきて1週間後。

 

溜まっていた仕事を片付けていると、部長からお呼び出しがあった。

 

「また転勤の話か……?」


と嫌な予感に駆られた。

 

恐る恐る、部長の待つ会議室へ入った。

 

「失礼します」

 

部長に無言で手招きされ、席に座る。

 

「君ね、東京での最終日、帰る時に何て言ったか覚えてる?」

 

「……?」

 

何か、お説教の雰囲気を感じた。

 

「"お疲れ様でした"……と、言ったと思いますが……」

 

「まあそれも言ったろうけど、他に何か覚えてないか?」

 

あれ、もしかして、何かマズいことを言ったか……?

 

「"もう二度と、ここには来ません"って言わなかったか?」

 

そんなこと、言ったっけ……。

 

えーっと……。

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

……そうだ、思い出した。

 

あの時、あまりにも気分が良くて、無意識に本音を口走っていた。

 

捨て台詞を吐くように、確かに言っていた。

 

ああ、これはヤバいやつだ。

やってしまった。

 

「言った……ような、気が、します……」

 

「あのねぇ、そういうこと言われた相手の気持ちも考えようよ」

 

「はい……すみません……」

 

……相手の気持ちを考えるって何だろう。

あいつは俺の気持ちを考えて声をかけたことなんてあっただろうか。

毎日毎日、ボロクソに踏みにじられた覚えしかない。

 

そういえばあの時、部長はあの場にいなかった。

つまり、あの場にいた誰かが部長にチクったということ。

 

あの場にいた誰か。

 

その瞬間、2ヶ月半の記憶がフラッシュバックした。

 

「そんなんじゃダメだろ」

 

「さっき"分かりました"って言ったよね? 全然分かってないじゃん」

 

やめろ。

 

「できないの? ちゃんと調べてんの?」

 

「はぁー(クソでか溜息)」

 

「分からないなら言えよ」

 

やめてくれ。

 

「話聞いてる?」

 

「モタモタすんなよ」

 

「やる気無いなら帰れよ」

 

胸が痛い。

 

頭の中がぐるぐるする。

 

焦点が定まらない。

 

言葉が出てこない。

 

今言われていることが頭に入らない。

 

息が苦しい。

 

溜め込んでいたものが、一気にこみ上げてくる。

 

ああ、ダメだ。ダメだって。

こんなところで、それは……。

 

どんなに理性で抑えようとしても、どうにもならない。

 

涙が溢れて、止まらない。

 

俺は静かに嗚咽した。

 

大の大人が、他人の前で。

 

 

 

さすがにこれには部長も驚いたのか、気を遣ってくれた。

 

「ちょっと落ち着くまで待とうか。しばらく会議室使ってて良いから。どれくらいかかる?」

 

「30分……くらい……いただけ……ますか……」

 

「じゃあ後でAさんにメール送っときな」

 

「……はい」

 

声を絞り出して返事をした。

 

俺は会議室で一人になって、ひとしきり泣いた。

 

30分後には落ち着きを取り戻していたが、涙の跡がバレそうだったため、40分を過ぎた頃にようやく会議室を出た。

 

自分の席へ戻り、A先輩へ送るメールの内容を考える。

 

"大変お世話になりました。"

 

"未熟ゆえに至らなかったことも色々あったかと思います。"

 

"数々のご無礼をどうかお許しください。"

 

"またお世話になる機会がありましたら、是非よろしくお願いいたします。"

 

全部嘘だ。清々しいほどに、まるっきり嘘だ。

むしろ当てつけだ。

 

俺はその内容でメールを送った。

ちなみにA先輩とその上司宛てに送ったのだが、返信があったのは上司の方からだけだった。

 

それから今のところ、東京への転勤の話は無い。

A先輩と関わる案件もない。

 

それどころか、Windows系のソフトウェアの開発を結構任されるようになっている。

何はともあれ、念願だったことは叶っているようだ。

 

それから、以前より部長が少し優しくなったような気がする。

気のせいかもしれないが。

 

 

 

俺は、"苦労したことが良い経験になる”なんてことはまったく思わない。

 

辛い経験は、ただ人の心を脆くするだけだ。