こなごころ

きもちをつづるばしょ

嫌なおじさんにならないために

俺もいずれおじさんになるわけだけど、果たして老いた先で俺は嫌なおじさんになっていないだろうかと、時々心配に思うわけでして。

 

まあ年齢的にはすでにおじさんに値するのかもしれない。

子供の頃は、30歳くらいでおじさんかなって思っていたし。

 

でも気持ち的にはまだまだ若いって言うか、人の上に立つような器になったとは全然思えないんだよな。

というわけで今のうちに、将来嫌なおじさんにならないようにするにはどうすれば良いか考えようと思う。

(ってかこれ、自分が嫌いなおじさん像ってことかも。)

 

 

批判的なことばかり言わない

人は本能的に、賛同的な意見より批判的な意見の方が目に付きやすい。

だから、大衆の注目を集めたり自分を"分かっている風"に見せるには、批判的なことを言う方が簡単なんだよな。

 

特に、新しく出たコンテンツや世間の風潮の変化に対しては、批判的になってしまうことがある。

年齢と共に、時代の変化に付いていけなくなってしまうのかもしれない。

 

政治にしろ社会問題にしろ、興味を持つのは構わないし、批判的に思うのも自由。

だけど、口を開けば批判の話ばっかりしてるのは良くないよな。

批判の話ってのは基本的に不愉快を共有することになるんで、(たとえ批判の内容に共感できるものであっても)批判ばっかりしている人の周囲はストレスが溜まりやすい

 

なんで批判的に思うのか。

相手の考えにも理がある、あるいはやむを得ない事情があるのではないか。

その批判的な意見を表明することに建設的な意義があるのか。

批判と人格否定を履き違えていないか。

そもそも情報が正確なのか。

0か100かで物事を考えていないか。

他人の偏った意見に流されていないか。

自分の理解は十分なのか。

言う前に考えてみることにしよう。

もしかしたら、単に気に食わないだけだったり、憶測だけで批難していることがあるかもしれない。

 

あと、仮に批判するとしても、汚い言葉遣いや他人を馬鹿にするような言い草は絶対しないこと

その分説得力が無くなるし、同じ意見の立場の人からしても醜い。

 

聞かれてもいない自分語りやマウント取りをしない

自分がどれだけ偉い人間なのか知ってもらうために、つい聞かれてもいない自分語りやマウント取りをしてしまうことはある。

でもそれは自分が気持ち良くなっているだけで、聞かされる相手からすると「この人すごいな」よりも「なんだコイツ」が勝ってしまう。

上から目線の語り口は、なお悪し。

自分語りは自分のブログや虚空に向けたツイートに留めておこう。

 

自分がどう見られるかは日々の言動の積み重ね次第。

歳だけ食っても偉くはならない。

人に良く見られたいなら、口先ではなく行動で示したいところ。

 

自分に非がある時は素直に謝る

自分が間違ったことを言ってしまった時、あるいは失礼なことを言ってしまった時、プライドが邪魔をして謝れないことがある。

相手にも非があるときはなおさら。

 

人は感情的になってしまうと、物事の判断力が鈍ってしまうもの。

「自分の非を認めることで自分が相手より下になる」ことが許せなくなってしまう。

 

でも実際は、先に潔く謝罪した方が大抵上手く事が運ぶんだよな。

冷静に、”大人の対応”ができる大人でいよう。

 

セクハラしない

当然っちゃ当然だが、セクハラはやめておこう。

「これはセクハラに当たるか?」って迷った時は言わないのが吉。

面白いと思って言った下ネタは、大体スベると思った方が良い。

 

むやみに若い世代と仲良くなろうとしない

年齢的にはおじさんになっても、「自分はまだまだ若い」とか「若くはないけど若者に対する理解がある」とか「年齢より若く見られる」とか思ってしまうことはある。

こういうのはむやみに表明せず、心に留めておこう。

 

若者に対する理解があるつもりでいると、いざギャップを感じた時に、それがジェネレーションギャップではなく「相手が変だ」と認識してしまうことがある。

そして自分の価値観を押し付けてしまって……となるともう最悪である。

 

また、若い子が自分に対して好意を持っていると勘違いしないこと。

連絡先を交換してくれたとか、飲みに誘ったら来てくれるとか、メールやLINEを送ったらちゃんと返してくれるとか、いつでも笑顔で対応してくれるとかってのは、善意であり好意ではない。

褒められたり優しくされたとして、それは社交辞令というもの。

 

 

さて、とりあえずここまでにしておこう。

追々見返して、自分のことを振り返っておくかな。

良いおじさんになれると良いな……。